アットホームホスピスが見つめるもの

はじめに

 

2020年、新型コロナウイルスが猛威をふるい、多くの方が亡くなりました。未知のウイルスのため、患者の臨終がせまってきても、その家族すら近寄ることができません。言葉をかけることも、手を握ることも。そして、荼毘にふす時も。そうした状況は日本だけではなく、世界中で起こり、医療のみならず、経済、教育、精神衛生、そして、日常生活全体までも大きな衝撃を与えました。あらためて、ホスピスケアとは? 今、この問いに向き合うことなしに、将来を展望することはできません。

回想と展望そして反省
~ホスピスケアとホスピタリティ〜

 

私が「ホスピスケア」を知ったのは学生時代でした。講演会で熱く語る柏木哲夫師の話に聴き入ったことを覚えております。そして、ホスピスケアの理念は「もてなし(ホスピタリティ)」と知りました。当時は「ホスピスケア」という表現ではなく、「ターミナルケア」が使われ、それが一般的でした。また、現代もそうですが、日本のホスピスケアは、がんとエイズだけを対象とすることを知りました。
 当時の日本の施設ホスピスは、大阪市「淀川キリスト教病院」内で始まった緩和ケア病床(1973年:昭和48年)、その8年後に設立された浜松市「聖隷三方原病院」の緩和ケア病棟の二つだけでした(1981年:昭和56年)。

メアリー・エイケンヘッド
 

ホスピスの発祥は18世紀のアイルランドです。当時のアイルランドはイギリスの植民地であり、人々はその弾圧に苦しみ、その悲惨さは死に場所すらない状態であった歴史が物語ります。これをなんとかしようと立ち上がったのが一人の教修道女、メアリー・エイケンヘッドでした。彼女は志なかばで他界しますが、その精神は後継者によって受け継がれ、世界中へとひろがります。なかでもシシリー・ソンダースは有名ですが、その土台となった精神こそ先に述べた「もてなし」でした(注1)。
これがホスピス、そして、ホスピスケアのルーツです。
 ところが、その後の科学進歩は目覚ましく、医学や医療に大きく貢献します。なかでも、終末期に起こる痛みを緩和する技術を飛躍的に進歩させました。しかし、それによって当初のホスピス理念であった「もてなし」は影を潜め、緩和技術がホスピスケアの全面を占めだします。そうした動きは、自然と「ケア=技術」とのイメージを固め、遂には「ホスピスケア=専門家のもの」となり、現代に至っています。技術の進歩は大歓迎ですが、落とし穴も潜むことを忘れてはならないと思います。これは緩和技術の否定ではありません。技術は人間を豊かにするものであり、人間理解の深層へと導く手助けをするものであるからです。興味ある方は、拙著『悲しみを抱きしめて―グリーフケアおことわり』をご参照下さい。
 今回のコロナ問題は、人間の原点を再認識させようとしているのではないでしょうか。これこそ、広義の「ホスピスケアを深めること」であり、アットホームホスピスが関わってきた課題です。コロナ問題の悲劇とどう向き合うか、そして、そこからなにを学び取るかが重要です。

(注1)ジューナル・S・ブレイク『ホスピスの母 マザー・エイケンヘッド』春秋社 参照

次の時代を見つめて

 

アットホームホスピスが法人となったのは2009年(平成21年)。目的は、市民が市民目線でホスピスケアを啓発することです。その活動には、ホスピスケアの次世代への伝承も含まれます。そして、それに一層気付かせてくれたのは、ある子どもたちの声でした。そんな中、神戸のある本屋さんで行われる「子どもが子どもに読み聞かせ」活動を知り、目からうろこが落ちる衝撃が走りました。見ている私たちが不思議なエネルギーに包まれていくのです。無言のうちに伝わるものがあり、そのエネルギーで大人が満たされていく。不思議なのは、私たちだけでなく子どもの保護者も、いつもと違う子どもの姿に驚くのです。そうした経緯から生まれたのが「キッズ・リンクおはなし会」であり、〈子どもたちへのいのちについて考える素地の提供〉を活動の一環に取り入れることになりました。
 小見出しに「展望そして反省」と綴りました。「反省」という言葉は消極的であり、読者にはマイナスイメージを与えますが、正直な思いを綴ることでマイナスをプラスにつなぎたく、挨拶とかえさせていただきます。 

理事長 吉田 利康